-滞在記- 若手研究者等フェローシップ( 2016 年度)

鳥飼将雅

受け入れ先の代表者ナイリ・ムハリャモフ教授のご厚意により、2017年2月16日にタタルスタン国家議会の総会を傍聴させていただいた。中でも特に興味深かったことが三つある。

一点目は、議長の横に共和国大統領たるルスタム・ミンニハノフの席が用意されており、発言者ほぼ全員が「親愛なるルスタム・ヌルガリエヴィチ」と前置きを入れてから発言したことである。傍聴に同席していた大学関係者に、「権力分立はどうなっているんだ」と尋ねると、彼女は怪伬な顔をして「タタルスタンにおいて大統領抜きに政治プロセスが進むことはない」と回答した。対照的に、隣のバシコルトスタン共和国では、首長のルステム・ハミトフが議会に出席することはほとんどないそうである。

二点目は、初代共和国大統領のミンチメル・シャイミエフが何食わぬ顔をして議会に出席していることである。これも彼女に尋ねると、「シャイミエフはいつも議会には出席している」とのことであった。しかも彼はただ座っているだけではなく、共産党の議員の意見に対して語気荒く反論したのである。もちろんミンニハノフとシャイミエフが共和国において絶大な政治的権力を持っているのは当然なのだが、そうした彼らの政治的権力が公式の権力関係以上に表出してくるところに、ロシアにおける公的な制度を超越した「政治的関係性」の影響力の強さを感じた。

三点目は、タタール語で話している議員がちらほらいたことである。これも隣席の関係者に尋ねたところ、タタール語でしか話すことができないという議員はさすがにいないが、タタール語の方がよく話せるという議員は多々いるので、議員は自由に自分が話す言語を選択することができる。タタール語で話す場合にはロシア語への同時通訳がなされるが、ほとんどの議員はバイリンガルであるため通訳なしでもさしたる問題はないだろうと彼女は答えた。この点はバシコルトスタンとの大きな違いである。バシコルトスタンでは、共和国議会においてはロシア語しか用いることができない。バシキール語を用いることは、領域内の少なくない部分を占めるタタール人を代表するエリートに対して刺激を与えるからである(タタール語は共和国の公式言語として認められていないので、もちろん使用することはできない)。共和国内の基幹民族としての矜持、そしてタタール人とロシア人との間の宥和的な関係を見ることができ、民族政治的な観点から見ても非常に興味深かった。

2月16日に行われたタタルスタン共和国議会総会での写真
(写真の議長席一番左が議長のムハメトシン、一番右が大統領ミンニハノフ)

2017年2月28日には、受け入れてもらったカザンエネルギー大学の政治学講義にお邪魔して、カザンの学生の前で日本の政治に関して、および日本人研究者が見るロシア社会の印象に関して30分程度話をさせて頂いた。質疑応答では、「ロシアでは政治や経済の分野における縁戚関係の影響力が大きいが、日本でもそのような例はあるか」、「日本におけるナショナリズム、インターナショナリズムの現状はどのようなものか」、「福島原発事故以降の日本における環境問題に関して世論はどのような意見を持っているのか」などの質問を受けた。これらの質問は日本に対する質問であると同時に、ロシアの世相を映す鏡であるようにも感じた。つまり、これらの質問は彼らの問題意識から来ており、彼らの問題意識は現代のロシア社会における問題を反映しているのである。これらの質問に拙いロシア語で回答するとともに、日本とロシアにおける社会状況の類似と相違に関して思いを巡らせることができた。

その後、カザンエネルギー大学の広報記事にして頂いた(https://kgeu.ru/News/Item/122/5969)。このように滞在中の行動を記事にしていただくのは、実は2015年のウクライナ研究滞在に続き2度目である。旧ソ連地域の地方都市を回り現代政治を研究する外国人はまだそれほど多くはないので、これからも地方都市を訪れるたびに日本人代表として扱われる機会が度々あると思われる。彼らにとっての「日本人」イメージが自分の発言によって左右されるのは大きなプレッシャーであるが、常に一人の「日本人」としての意見を述べられるようにこれからもしっかり政治学の勉強を進めていきたいと、強く思った。

日露青年交流センター Japan Russia Youth Exchange Center
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