-滞在記- 若手研究者等フェローシップ( 2012 年度)

モスクワの墓地について  秋月準也

私は2012年10月よりロシア国立人文大学にてミハイル・ブルガーコフの小説や戯曲について研究を行っている。ブルガーコフが創作活動の舞台としたモスクワで、彼が住んでいたアパートや彼の戯曲を上演していた劇場が今も残るモスクワで、街の雰囲気を直に感じながら研究ができる環境は、私にとって非常に貴重なものであった。とはいえ研究に従事する者の毎日はたとえ留学中であっても基本的に単調である。大学に行って授業を受けたり、人に会ったりするほかは、ひたすら本屋や図書館めぐり。そして自宅か図書館にこもって必要だと思われる文学作品や論文集と向き合い続けるのだ。

ではこういった生活において何が重要なのか。それは気晴らし、気分転換の手段の確立であろう。いくら好きなことをしているとはいえ、毎日が同じことの繰り返しではさすがに気が滅入ってしまう。せっかくロシアに来たのだからウォッカを研究の合間にあおることにしようか。もちろんだめだ。気晴らしどころか生活スタイルそのものが破綻しかねない。では食に走ろうか。しかしモスクワでの外食はとにかく高くつく。劇場めぐりはどうか。これはよい案なのだが、私は演劇も研究分野のひとつなので気晴らしというよりはあくまで研究の延長線上の営みになってしまう。できれば財布にあまり負担をかけずに、しかも健康的な気分転換の手段はないものか。このような一連の模索を経てたどり着いたのが、この後ご紹介する「墓地通い」である。

 「私はロシアに一年留学していましたが、研究に疲れるとよくモスクワの墓地をさまよっていました」。このように文章化すると、多くの方から「大丈夫か」と心配されそうだが、実際にはモスクワの墓地はそれほど暗いところではない。まず下にある写真をご覧いただきたい。一枚目は1965年に有人宇宙飛行を成し遂げた宇宙飛行士パーヴェル・ベリャーエフの墓。二枚目はスパルタク・モスクワに所属し、1970年のワールドカップメキシコ大会にも出場したサッカー選手ゲンナージイ・ロゴフェットの墓である。しかしいずれの墓も、細かい説明などなくとも一目で彼らが何者であったかがわかるようにデザインされている。

ベリャーエフの墓

ロゴフェットの墓

 

実際のところ、ロシアの比較的大規模な墓地は単なる墓場というよりも、一種の美術館・博物館的な要素を含んだ場所と考えたほうがふさわしいかもしれない。ロシアの墓地の墓石は実に様々なかたちが許容されていて、例として挙げたベリャーエフやロゴフェットの墓のように生前の職業にちなんだ設計のものの他にも、人物のレリーフが彫られた墓石、不思議な形状の前衛的な墓石、宗教的なデザインの墓石など、多種多様な墓石が所狭しと折り重なるように並んでいる。そのような光景の中を散策していると、まるで墓地全体がひとつの芸術を成しているかのように思えてくるのである。
墓石のデザインの他にも「息抜き」としてのモスクワの墓地通いには多くの利点がある。第一に、そしてこれは最も重要な点なのだが、墓地は無料で入ることが可能であり、なおかついくらでも居続けてもかまわない場所である。第二に、墓地はモスクワの他の場所に比べてとても静かで、きれいに整備され、大抵の場合自然が豊かである。当たり前のように思われるかもしれないが、公共インフラにまだまだ問題山積のモスクワにおいて、こういった空間は貴重だ。第三に墓地という場には明らかにやさしい人が多い。これはもちろん生きている人たちの話である。例えばドンスコエ墓地を訪ねたときのことだ。墓地の狭い通路で落ち葉を清掃していたおじさんは、わざわざ清掃用の機械を止めて私に道を譲ってくれた。入り口で花を売っているおばさんは、日本から来た私がこの墓地を気に入っていることを知ると心から喜んで、墓地にまつわる色々なエピソードを教えてくれた上に、いっしょに写真を撮ることも快諾してくれた。そして私の後ろで花を買う順番を待っていたおじいさんは、決して急かしたりせず、我々の様子を微笑ましそうに眺めていたのである。そう、墓地には悪い人間も酔っ払った人間もいないのだ。

花屋のおばさんと筆者

さて、ここでいったん視点をひろげて、モスクワという都市に墓地がどのように配置されているかを見てみよう。そもそもロシア正教の寺院そのものがすべて聖人や支配者をまつる「墓」であるとみなすこともできるのだが、この滞在記ではそういった側面はとりあえず置いておいて、いわゆる日本の霊園のような墓地を想定して話を進めていきたい。モスクワの中央、クレムリンと赤の広場にはレーニン廟をはじめとしてソ連期の為政者や英雄が眠っている。このクレムリンを中心点とすると、モスクワにはちょうど東京の山手線を二重にしたような形で、内側にサドーヴァエ環状道路、外側にトレチエ環状道路と二つの環状線が走っている。そしてモスクワの主要な墓地は外側を周るトレチエ環状道路に沿って点在しているのである。例えば、トレチエ環状道路の円周上の北西にはロシアの国民的歌手ヴラジーミル・ヴィソツキイが眠るヴァガニコフスコエ墓地、北にはピャトニツコエ墓地、東にヴヴェデンスコエ墓地、南にドンスコエ墓地、南西にモスクワで最も多くの著名人が葬られているノボデヴィチエ墓地、と墓地を環状線に沿って円を描くように列挙していくことができる。したがってトレチエ環状線はモスクワの墓地の全体像を把握する上で重要な道なのである。ちなみにトレチエ環状道路の円周上には、死者の眠る墓地とは全く逆の「生のイメージ」を持つスポーツスタジアムも存在する。例えば、南西には2013年に世界陸上が開催され、2018年のサッカーワールドカップロシア大会のメイン会場となる予定のルジニキ・スタジアム。北西には老朽化のため取り壊された旧ディナモ・スタジアムに代わって新ディナモ・スタジアムの建設が進んでいる。このような側面から見ると、モスクワの南西側では最も大きなスポーツ競技場であるルジニキ・スタジアムと最も有名な墓地であるノボデヴィチエ墓地がトレチエ環状道路を挟んで真向かいに位置していて、一本の道路を挟んでコントラストがくっきりと浮かび上がるような非常に興味深い構図になっている。

このあたりで「墓地通い」に話を戻そう。私がよく通ったのは自宅との位置関係から環状道路の外の南東にあるノボデヴィチエ墓地、南にあるドンスコエ墓地、ダニロフスコエ墓地の三つであった。このうちドンスコエ墓地とノボデヴィチエ墓地について書いていきたい。

〇ドンスコエ墓地
ドンスコエ墓地には『ガン病棟』などで有名な作家ソルジェニーツィンの墓があるものの、全体として著名人の墓はそれほど多くなく、訪問客の数も少ない。ただしロシアの墓石は簡素なものであっても本人の肖像画・写真等が添えてあったり、生前の職業、業績、生年と没年などが示されていることが多いので、そういった人たちの生涯を想像しながらゆっくりと散策することが可能である。ドンスコエ墓地やすぐそばにあるダニロフスコエ墓地の内部には小さな教会が設置されていて、敬虔なロシア正教徒のお婆さんたちが長い時間をかけて祈りを捧げる姿を見ることができる。またドンスコエ墓地にはソ連で死亡した旧日本軍抑留者を追悼する記念碑がある。抑留者の追悼碑はスターリンの大粛清時代に政治的弾圧を受けた人々を追悼する区画にあり、全体が四角いブロックに区切られたドンスコエ墓地の中で、この区画だけが祈りを捧げる女性像を中心に円形に配置されている。したがって、文字だけでなく視覚的にもこの場所がドンスコエ墓地の中でも特別な場であることがはっきりと示されている。また抑留者とは別に、ソ連国内で政治的粛清にあったと思われる日本人の、漢字が刻まれた墓石も複数存在する。

日本人抑留者の埋葬碑

粛清者追悼の女神像

〇ノボデヴィチエ墓地
ノボデヴィチエ墓地はおそらくロシアで最も多くの著名人の墓がある場所であろう。帝政期、ソ連期、そしてソ連崩壊後の現代にいたるまでの間に活躍した政治家、軍人、作家、画家、音楽家、俳優、その他の英雄的人物が星の数ほど埋葬されている。特に目的もなく漠然と歩いているだけでも次々と本で見たことのある名前が刻まれた墓石に行き当たる。私は霊的なものはそもそも苦手なのだが、ロシアの文学・文化を研究する者としては、この墓地の敷地内に深夜まで潜んで「出待ち」をして、誰でもかまわないので出てこられた方を自宅に連れ帰って話をお聞きしたいと妄想したことが何度もあるほどだ。  ノボデヴィチエ墓地は私が初めて訪れたロシアの墓地という意味でも特別な場所である。訪問時期は2007年であったが、ちょうど世界的なチェリスト、ムスチスラフ・ロストロポーヴィチが亡くなったばかりの頃だった。下の一枚目の写真はまだ墓石のない、いわば仮埋葬の状態のロストロポーヴィチの墓である。このような埋葬法はロストロポーヴィチのような著名人でない一般の人々も同様であって、棺に盛り土がなされ、花が脇に飾られ、木製の十字架が立てられた墓をドンスコエ墓地でも何度か目にした。そして二枚目が2013年に撮ったロストロポーヴィチの墓である。木製の十字架は立派な石造りのものに変わっていて、さらに2012年に亡くなったロストロポーヴィチの妻でロシアオペラ界のスター歌手であったガリーナ・ヴィシネフスカヤの名前も墓石に加わっている。

ロストロポーヴィチの墓(2007)

ロストロポーヴィチの墓(2013)

ノボデヴィチエ墓地の入り口から右側の壁を隔てて向こう側には、作家の墓が特に多く集まっていて、歩いているとブルガーコフ、ゴーゴリ、チェーホフ、マヤコフスキイといった有名な作家の墓石が次々とあらわれる。しかし墓地に通いながら彼らの墓石を何度も眺めていると、「私の小説はちゃんと全部読んだのだろうね? 私の戯曲は…? 私の詩は…?」と語りかけられているような気がして、完全に気晴らしになったとは言えない気もするのである。

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