-滞在記- 若手研究者等フェローシップ( 2011 年度)

サンクトペテルブルグ、タイ、カルムイキア:新時代を迎えるロシアのアジア

カルムイキアの寺院にて。モンゴルから招かれた高僧の講話でお寺に入りきらなかった人々。

ヴァシーレフスキー島のサンクトペテルブルグ大学東洋学部から表に出るといつも不思議な気分になるのは筆者だけでしょうか。ネヴァ河をはさんで目の前に広がる風景はどこか東南アジアの仏教国にいるような錯覚を思わせるからです。一体ここはどこなのかと。科学アカデミー東洋写本研究所を出るとペトロパブロフスク要塞の姿が印象的であるのとは実に好対照です。大学通りをさらに左手に進むと医学アカデミー・オット研究所の屋根からは神鳥ガルーダがこちらを見ています(20世紀初めの東洋趣味建築のひとつ)。

サンクトペテルブルグとアジアの関係は古く、この都を開基したピョートル大帝がライプニッツの助言に従ってアジア研究の組織化を計画したことに始まります。その後、ニコライ1世の時代に本格的に始動したサンクトペテルブルグの東洋学研究は19世紀末から20世紀初めに世界的な名声を獲得するに至りました。エルミタージュ美術館を始めとしてサンクトペテルブルグの多くの博物館・美術館にインドの仏像から日本の根付まで様々なアジアの貴重な物品が所蔵されているのもこの東洋学の発達と関係しています。また、18世紀にはすでにカルムイク人やブリヤート人の仏教僧侶が街の中心を流れるフォンタンカ川沿いに住んでいて、彼らが袈裟を着て歩く様子はサンクトペテルブルグの市民にとって見慣れたものだったそうです。

筆者はロシアの仏教を研究していますので、今回はサンクトペテルブルグの仏教寺院について紹介し、そこでの出会いから考えたことを滞在記として綴りたいと思います。

グンゼチョイネイ・ダツァン

サンクトペテルブルグの寺院といえば、地下鉄スターラヤ・ヂェレーヴニャ駅の近くにあるチベット仏教寺院グンゼチョイネイ・ダツァン(1915年竣工)が有名です。筆者は2012年6月に東洋写本研究所で開催された仏教関係の学会に参加させていただきましたが、その際もこの寺院に招待され説法後の会食では研究者や僧侶と一緒にボーズ(肉饅頭)などのブリヤート料理を美味しくいただきました(もちろんお坊さんはお肉を召し上がりませんでしたが)。このグンゼチョイネイ寺につきましては、最近では日本語のガイドブックでも紹介されているのでここで書くまでもないかと思います。ウィキペディアなど様々なサイトにも掲載されていますので関心のある方はそちらをご参考にしてください(地下には食堂がありますから、訪問の際はぜひブリヤート料理をお楽しみください)。

タイから運ばれてきた仏像

タイ寺院バト・ダビダンマ・ブッダヴィハーラ

これからお話しするのはバト・アビダンマ・ブッダヴィハーラというタイ仏教寺院についてです。このお寺のことはタイからの留学生たちに教わりずいぶん前から訪ねてみたいと思っていたのですが、今回やっと念願がかないました。 タイ寺院に同行してくれたのはサンクトペテルブルグ大学東洋学部でチベット語を教えているバドマ・ナルマエフさんです。6月16日日曜日、私たちは地下鉄プロスペクト・ヴェテラーノフ駅からバスに乗って郊外の集落ゴレーロヴォに向かいました。何度か降りる場所を間違えてしまい、地元の方に教えてもらいようやくたどり着いた次第です。ゴレーロヴォは普通のダーチャ村でした。日曜日ですからダーチャに安らぎを求めてやってきた人々でメインストリートは意外と賑わっていました。バスを降りて1キロぐらい歩いたでしょうか、私たちはついにサンクトペテルブルグのタイ仏教寺院バト・アビダンマ・ブッダヴィハーラに着きました。
周囲と比べると大きな建物ですが、外面は普通の2階建ての住宅に見えます。表の控えめな標識がなかったならば分からないところでした。呼び鈴を鳴らすと一人のお坊さんが少し眠たげに出てきました(どうやらお昼寝中にお邪魔してしまったようです)。
チャトリ法師は、タイでの長い修行の後、1998年にサンクトペテルブルグ大学国際関係学部に入学し、2005年にはカンディダート号を修得されモノグラフも出版されています。タイから運んできたという黄金色に輝く仏像を前に、チャトリ法師は寺院設立の経緯、タイ政府やロシア政府との関係などを丁寧にお話してくださいました。

このお寺はサンクトペテルブルグで活躍するタイ人の布施によって2006年に開かれました。ただ、タイ政府からの支援はあまりないそうで(それで郊外のダーチャ村にあるのでしょうが)、チャトリ法師の今後のがんばり次第というところのようです。他方、信徒にも日常生活があり中心部から離れたバト・アビダンマ・ブッダヴィハーラ寺を頻繁に訪問するのはなかなか大変なようです。前述のチベット仏教寺院グンゼチョイネイ寺とは良好な関係にあり、彼自身もこのグンゼチョイネイ寺で出張説法を行なうそうです。また、チャトリ法師が母国タイだけでなくその他のアジア各国からも積極的に僧侶を招いていることにも注目すべきでしょう。現在の東南アジアでは僧侶の「修行の国際化」(国境を越えても高名な僧侶のもとで教えを請おうとする動向)が進んでいると聞きますから、そういう世界的な背景もあるのかもしれません。チャトリ法師は仏教徒世界大会などにも参加し、その際にロシア布教に関心を持つ各国の僧侶と関係を築いているようです(ついでに日本仏教界の宗門宗派争いについての苦言もいただきました)。

このように一通り寺院の概要を話されたチャトリ法師は、突然カルムイキア移住の夢を語りだしました。ナルマエフさんがカルムイク人であることも私がカルムイク研究をしていることもまだ伝えていなかったので、カルムイキアの名前が出て私たちはとても驚きました。いったいなぜタイ仏教のお坊さんがカルムイキアに関心があるのでしょうか。
理由は単純。タイ人としてはサンクトペテルブルグはあまりに寒すぎるのでもっと暖かな南方に行きたい。また、「ヨーロッパ唯一の仏教国」であるカルムイキアはモスクワから飛行機で2時間弱の「近さ」である。そして、やはり仏教徒としては蓮の花の咲くところで暮らしたい、というものでした。
理由は単純に聞こえますが筆者をハッとさせるものがありました。おそらくこの二番目のモスクワからの「近さ」というのは非常に重要なのでしょう。ちなみにモスクワからブリヤーチアまでは飛行機でも6時間半以上かかりますので、広大なロシアにとっては2時間弱という移動時間は「近い」の範疇に入るでしょう。この寺に通う信徒は、それほど多くないタイ人以外はロシア人やヨーロッパから来た方々でした。2008年8月初めにチベット仏教カギュ派の最高位に座すカルマパ17世がロシアを訪問したのですが、彼の法会の開催地に選ばれたのもカルムイキアでした。たまたま調査で滞在していた筆者もこの法事を見物しに行きましたが、その時も大半の参加者が欧米の仏教徒だったことを覚えています。欧米では積極的な布教活動が行なわれており、仏教界における欧米の信徒の重要性は急速に高まりつつあります(ハリウッド・スターにも仏教の熱心な信者がいることが知られています)。

どうやらタイの僧侶にとっても「ヨーロッパ唯一の仏教国」というブランドは魅力的なようです。チャトリ法師はすでにカルムイク共和国第一副首相のヴャチェスラフ・ニコラエヴィチ・イリュムジノフ氏(有名な前元首のキルサン・イリュムジノフ氏の兄)とも移住についての話し合いをしているそうですから、そう遠くないうちにカルムイキアにタイ仏教の寺院が建立されるかもしれません。
ここで興味深いのは、カルムイキア共和国大統領時代に「ヨーロッパ唯一の仏教国」という宣言を出したキルサン・イリュムジノフ氏が新たな戦略を練っているらしいということです。現在、彼は国際チェス連盟会長という肩書きですが、第一副首相を務める兄のヴャチェスラフ・イリュムジノフ氏と一心同体だと思われます。彼らはカルムイキアに東洋医学センターの建設を計画しています。ロシアの仏教界ではエムチと呼ばれる僧医がチベット医術の担い手として伝統的に活躍してきました。計画中の東洋医学センターにはチベット医学を初めとしてカルムイク、ブリヤート、モンゴル、中国、インド、タイ、ヴェトナム、朝鮮、そして日本などアジア各国の伝統医療、最先端医療を集結させるといいます。医療の国際化、医療ツーリズムという世界的な潮流に乗り、瞑想(メディテーション)など心身の静寂を整えるようなコースも組み合わせた滞在型の医療センターを目指すようです。この医療センターを完成させ、カルムイキアのトップの座に返り咲き、そしてダライ・ラマの再招聘を実現させる。巡礼と医療ツーリズムの融合。欧米市場に向けて「仏教」という文化資源を最大限にアピールすること、これがイリュムジノフ家の戦略なのではないでしょうか。グローバルな人の流れの活性化のなかで「ヨーロッパ唯一の仏教国カルムイキア」のブランドはまた新たな展開を迎えつつあるのではないか、そんなことを考えさせられました。

チャトリ法師と筆者

その後、タイのお菓子とお茶をいただきながら、チャトリ法師から「人生」、「愛」、「知」といったテーマについてお話を伺いましたが、あっという間に時間は経ってしまいました。お別れの記念撮影をしてお寺を後にしましたが、それでも興奮の覚めないナルマエフさんと筆者は「仏教における転生」について熱く議論を交わしながら家路へと向かったのでした。


注:本稿ではКалмык, Калмыкияについてカルムイク、カルムイキアの字を当てます。カルムィク、カルムィキアという書き方もありますし、ロシア語の発音としてはカルミック、カルミッキアの方が近いかもしれませんが、ここでは通例に従いたいと思います。 日露青年交流センター Japan Russia Youth Exchange Center
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