-ロシアの教室から-

日本語教師派遣大学紹介(2011年度)

ウラル連邦大学 野口誠教師

≪大学紹介≫

 正式名称「ロシア初代大統領ボリス・エリツィン記念ウラル連邦大学」は、ロシア西部の工業都市・エカテリンブルグ屈指の大学です。

 「アジアとヨーロッパの境目」で知られるエカテリンブルグは、数えるほどしか日本人がいないにもかかわらず、街には日本料理店や合気道教室など、日本文化に関係する店や習い事の広告があちこちに見られ、日本語への関心も高いです。





リャザン国立大学 齋藤隼人教師

≪大学紹介≫

 リャザン国立大学は、モスクワから電車で3時間ほどの町、リャザンの中心にあります。リャザンは、モスクワ近郊でふつうのロシアを味わえる、河や森など自然に近い良いところです。

 大学では100人以上の学生が日本語を学習しています。
日本から遠く離れたこの地において、これほどの熱心な日本語学習者が多くいることに驚かされます。



≪印象に残る体験≫

 証明写真を撮る必要があり、とある写真屋さんに入りました。
お店に入ると僕はロシア語はできないし、お店の従業員も英語も、もちろん日本語もできない。

 意思疎通がうまくできず困っていたところ、従業員はカウンターに置いてあるパソコンを使って、Google翻訳を用い、僕との会話を試みました。その翻訳はとてもわかりやすく、必要なこと以外にも、「フクシマはどうか? 大丈夫か?」など日本について質問をしてきました。彼の開かれた態度にとても感心し、好印象を持ちました。

 このようなエピソードのみならず、本当にロシアの人たちは日本に対して関心、好意的な感情を持っている人が多くいます。
それは、日本人としての僕に大きな自信を与えてくれ、その期待にぜひ応えたいと思います。



経済法律人文学院(クラスノダール) 宮崎さとみ教師

≪大学紹介≫

 私が派遣されている経済法律人文学院(通称イネップ)の東洋学部では第一言語として日本語、中国語の専攻がありました。また今年から修士課程ができ、修士課程の専攻は日本語のみです。
小さい大学なので学生も先生も仲が良く、アットフォームな雰囲気で大変居心地がいい大学でした。
過去形なのは、今学期(2月)から、東洋学部がクバン国立大学に移動することになったからです。イネップは元々クバン国立大学から分離した大学だそうで学部長を始めこの二つの大学を兼任されている先生方も多いです。

クラスノダール地方の大学で日本語を専攻できるのはこの東洋学部のみです。国立大学に日本語科ができたことで入学希望者が増えることを期待しているところです。




 クラスノダールでは最近まで日本人は私一人だけでした。
それにも関わらず日本食レストランや日本の物を売る店がたくさんあり、大規模なアニメフェスティバルなどのイベントが催されていることからも、日本に対する関心の高さがうかがえます。そのような中、日本語教師としての悩みの一つは学生が日本語を使う機会がないこと、卒業しても日本に関する職業につける希望を持てないことでした。

 しかし、去年クラスノダールに日本企業が進出し、3名の日本人の方が来られました。弁論大会に来ていただき交流の場を設けられたこと、卒業生が数名採用されたことで学生のモチベーションが上がったのではないかと思われます。





カザン連邦大学 前田朝子教師

≪大学紹介≫

 カザン市はロシア連邦に属するタタールスタン自治共和国の首都であり、モスクワから東へ800km(飛行機で1時間半、電車で一晩)、ヴォルガ川とカザンカ川の合流点に位置しています。ロシア人とタタール人が半分ずつ住んでいるこの町は、大学が多いことでも有名です。2013年にはユニバーシアドも開かれます。

 カザンへは昨年度までタタール国立人文教育大学に日本語教師が派遣されていました。今年度からカザン国立大学と合併し、カザン連邦大学に再編されました。カザン連邦大学はロシアで2番目に古い大学で、規模も大きく、トルストイやレーニンも通っていたということです。

 日本語コースは、東洋学国際関係学部の副専攻の一つで、現在2、4、5年生のクラスがあります。日本語だけでなく、日本語教授法、日本文学なども教えています。

幸い、カザンの学生たちは人懐っこく、日本や日本文化に興味を持っているので、いつも楽しく笑顔が絶えないクラスになっています。授業以外でも一緒に出かけることが多く、また、学年を超えて仲がいいです。



≪印象に残るエピソード≫

 学生たちの希望で去年から始めた弁論大会でしたが、今年は自分の学生だけでなく、他学科、民間の日本語学校、高校などからも出場希望者があり、一大イベントになりました。

 弁論大会前はすべての準備を学生とともに行い、寝る時間がないほど忙しかったです。でも、前日準備、そして当日も4、5年生たちが自主的に集まり、役割分担をして、てきぱきと仕事をする姿を見て、連日の寝不足が吹き飛ぶほど嬉しかったです。

 縁があって他学部や他大学の日本語学習者も手伝いに駆けつけてくれました。出場した学生たちが頑張ったのはもちろん、運営側の学生、手伝ってくれた学生、見に来た学生たち、みんなの思い出になりました。

 カザンには日本人がほとんどいないので、日本語を勉強してもなかなか使うことができません。それでも、学生たちの「日本語が好き」という気持ちがよく伝わってくるイベントでした。





モスクワ市立教育大学 (久保田貴子教師)

≪大学紹介≫

モスクワ市立教育大学の日本語学科は、2007年、モスクワ市内の初中等教育機関における日本語教師養成のために設置されました。



12月30日、9時からの授業に学生たちが出席するかどうか不安でした。
が、彼らはきちんと来ました。

お菓子とジュースを持って。

教科書を少しでも進めようとする教師に、「先生、もうすぐ新年ですから、お祝いしましょう!」と言った彼らの表情は写真の通り。

年末、休講にする教師もいる中、大学に来た彼らに甘んじ、茶話会のような雰囲気の中、日本とロシアのクリスマスとお正月(新年)の違いについて話しました。



≪日本語教師になったきっかけ≫

日本語教師になったきっかけは2つあります。

1つ目は、16歳のとき、ライオンズクラブ国際協会の交換留学に参加したことです。
マレーシアのホストファミリーの自宅に6週間滞在しました。
「日本の歌を教えてほしい」と言われたのですが、上手に教えられず、「日本語を教える」ということに興味を持ちました。

2つ目は、21歳のとき、福岡アジア美術館で開催された「福岡アジア美術トリエンナーレ」の交流プログラムのボランティアになったことです。インドネシアの交流作家のサポートをしました。
彼女は3か月しか日本にいなかったのですが、1週間に1回、日本語教室に通っていました。彼女の「日本語ができるようになりたい。」という気持ちに感動し、日本語教師になりたいと思うようになりました。



オレンブルグ国立大学 (石橋朋子教師)

≪大学紹介≫

オレンブルグ市は、モスクワから飛行機で2時間東南に行ったところにあります。市の中心にあるオレンブルグ国立大学では各地から集まった3万人ほどの学生が学んでいます。
同大学での日本語教育は3年半前から始まりました。現在、日本語教師は、私とロシア人日本語教師の2人です。

文学部の学生向けに第三外国語として(約20%)と、大学付属の日本情報センターに有料で登録した人達向けに(約80%)教えています。
日本情報センターの学生達は、12歳~38歳で年齢も職業も様々です。オレンブルグ市に日本人は私一人しかおらず、直に日本人と関わる機会はほとんどありませんが、みんなただただ日本が好きで、日本語を勉強しています。



2年前、広島大学との大学間提携が結ばれ、少しずつですが日本との交流が増えてきました。
今年の4月には、広島大学からオレンブルグ国立大学に桜が寄贈される予定です。ロシアで咲く桜、楽しみです。



≪日本語教師になるきっかけ≫

大学を卒業後3年間一般企業で営業として働きました。

退職後、ロシアのカムチャツカへ語学留学しました。そこで、同じ大学で日本語を学ぶロシア人学生達と知り合いました。
彼らは、大学で日本語を勉強することはもちろん、休みの日も図書館に集まって、日本について自分たちで調べてきたことを高校生以下の子供たちに伝えたりしていました。
彼らの日本に対する興味の大きさを目の当たりにして、何度も感動させられました。

そして、もっと日本語や日本についてうまく教えられるようになって、彼らの興味に応えたい!と強く思いました。

その思いが、日本語教師になるきっかけとなりました。



高等経済大学(モスクワ) (尾形太郎教師)

≪大学紹介≫

高等経済大学では、世界経済・国際関係学部と哲学部に付設したアジア学研究で約100名の学生が日本語を学んでいます。
前者の学生は経済学や政治学を専攻しつつ、第二外国語として日本語を学習しています。
後者の学生は東洋学を専攻し、日本語だけでなく日本の歴史や文化も学んでいます。

こちらの大学には日本のポップカルチャーに興味を持って日本語を勉強する学生ももちろんたくさんいますが、伝統芸能や歴史、文学、また経済や産業などに関心を持つ学生も多く、日本に関する彼らの知識に驚かされることもしばしばです。

4セメスターが採用されているため試験の回数が多く、また日々課される課題も非常に多いとのことで、学生たちは本当に忙しそうです(「週末に何をしましたか?」と聞くとほとんどの学生は「宿題をしていました。」と答えます)。

そんな中でも学生たちは楽しみながら日本語を学んでいます。日本語教師にとっては、色々な意味でやりがいを感じられる職場だと思います。





ゲルツェン名称ロシア国立教育大学 (黒島規史教師)

≪大学紹介≫

英語を主専攻とする学生が副専攻として2年次から5年次まで日本語を学習しています。
選択できる東洋諸語には日本語のほか、中国語、韓国語があり、履修希望者数によって開講されるかどうかが決まります。

現在、日本の上智大学と関西外国語大学と交換留学の協定を結んでいます。学生は英語を専攻とするため、日本語は第二外国語にあたりますが、全体的に日本語を含む日本文化への関心は高く、熱心に授業に取り組んでいる姿が印象的です。



≪任地で日本語教師として出合った印象に残る体験≫

ロシアでは年末に贈り物をする習慣があるらしく、東洋大学で年末にテストを行ったあと、学生たちから花束とチョコレートをもらい、とても感動しました。

≪日本語教師になったきっかけ≫

初めて「日本語教師」という職業を知ったのは、高校1年生のときでした。知った瞬間、わたしの中に衝撃が走りました。「日本語って一体どうやって教えるのだろう…!?」まったくわかりません。

こんなこと、それまでの人生の中で一度も考えたことがなかったのです。この未知との出会いに、一瞬で心を奪われてしまいました。そして日本語教育についていろいろ調べたのですが、これがどうやらとても面白そうな職業です。
かくして、わたしは大学では日本語教育を勉強したいと考えるようになり、高校では理数科に所属していたのにも関わらず、入学からわずか数ヶ月で「隠れ文転」を決意したのでした。

また、当時わたしは韓国語にも興味を持っていました。そして韓国は一番日本語学習者が多いということを知るにつけ、「韓国語ができれば日本語教師の就職にも有利では…?」と考えるようになりました。

その後いろいろ考え、結局は大学で韓国語を専攻することになるのですが、韓国語を勉強する傍ら、日本語、日本語教育関連の授業もたくさん取って勉強しました。大学在学中に韓国に留学する機会を得、そのとき日本語を教えるという経験もすることができました。

これはとてもよい経験になりました。帰国後は大学院に進学し韓国語の文法を研究することになるのですが、心のどこかでは、また海外で日本語を教えてみたいと思っていました。

そして、日露青年交流センターの教師派遣事業を知り、ロシアにも関心があったわたしは「これだ!」と思ったわけです。

それから独学で日本語教育能力検定試験に合格し、今回このように日本語教師としてロシアに派遣していただいたのです。

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