日露修好150周年記念回航事業 【参加者の声】

サハリン州青少年政策局
ヴラジスラフ・フロロフ

※ユジノサハリンスク室内楽団

結団式の後、私たちはバスで「ルーシ」という象徴的な名前の大きな、美しく白い船に向かいました。私たちは丁重に迎えられ、快適な船室に振り分けられました。

翌日、極東国立大学の大ホールで日露修好150周年記念学生会議が行われました。そこで私たちは日本からの青年たちと本当の意味で初めて交流することになりました。会議終了後、私たちはルーシ号に戻り、皆、「日の出ずる」国への出発を待ちわびました。

18時ちょうどに船は出ました。見送りの人々に手を振ってから、私たちは10日間を過ごすことになる船を調べにかかりましたが、船は非常に大きく、内部は居心地の良いものでした。いつの間にか夜になり、日本からの青年参加者ともロシアの他の地域からの参加者とも早く知り合いになりたいと思っていましたが、この夜、夕食時の形式ばらない雰囲気の中で、徐々に親交が始まりました。私自身は日本語を学んだことがなかったので、日本の若者と日本語で熱心に話をしているウラジオストクの学生たちに合流しました。第一日目は、初めて会う150人の人々と、感情の海と、新しい友人とで、印象深い一日となりました。

私はロシア側のリーダーの一人として、毎晩、翌日の日程打ち合わせに出席しました。最初、予定通り日本の文化・伝統を日本人参加者とともに学びました。私には、とりわけ、茶道と折り紙が面白かったです。この他、2回、プチャーチン提督の日本訪問がきっかけとなった露日間の友好関係発展の歴史を非常に詳しく学びました。

私たちが訪れた最初の町は函館でした。函館の初日に私たち代表者は市長を表敬訪問し、そこで回航事業に関する印象を話し、相互理解と善隣関係を基礎とした露日間相互関係の重要性に関して発言がありました。その際、市長とロシア側団長は、両国の青年交流の発展は、両国の建設的な相互関係の形成と、二国間協力の諸問題に関する妥協的解決を模索する上で最も効果的な方法であると述べました。

初めのうち、サハリンから来た私にとっては湿気のある暑い天候が最もこたえました。他の多くのメンバー同様、何度も冷たい飲物を飲みました。

船旅の間、初めから最後までずっとそうだったのですが、ロシアの歴史とその記念碑、日本の地にあるロシア人水兵の墓への日本人の丁寧な態度に私は何よりも驚かされました。特に感動的だったのは、日本の僧侶がプチャーチンに従って下田に来航し、津波に巻き込まれた水兵のために行った法要でした。下田では、海中水族館の見学と下田の海の生き物との出会いも記憶に残るものでした。日本側の歓待は続きました。中でも最も印象的だったのは下田のホテルで私たちのために特別に催された専門家による花火でした。ロシア側も黙って見ているだけではありません。ロシアの伝統と文化を日本人に紹介するよう一生懸命努力しました。ロシア側メンバーにはロシアの民族舞踊とロシア民謡を紹介する素晴らしい青年グループが参加していましたし、ユジノサハリンスク室内楽団はクラシック音楽の見事な演奏で皆を驚かせました。

船上でも様々な行事でも、日本側が創り、そしてロシア側に支えられた友好的な雰囲気が、日本の文化や伝統に触れる機会だけでなく、私たちに良き隣人に対すると同様の日本人の態度を感じる機会を与えてくれたことを特記したいと思います。

日本人青年との別れの時は、私たちはすでにあまりにも親しくなっていたので、感情を包み隠すことなく心から悲しくなりました。そのとき、単に日本側参加者と別れるのではなく、本当は真の友人と別れようとしているのだということが分りました。