日露修好150周年記念回航事業 【会議参加者のスピーチ】

サンクトペテルブルク国立大学東洋学部
ゾーヤ・ヴェルジェビツカヤ

今年、2005年は日露和親条約締結から150周年です。日本とロシアは、実は150年前から友好関係にあります。150年前に一人の提督が日本にやってきました。プチャーチン提督です。

1854年、ペリー艦隊が下田を去って4ヶ月後、ロシアのプチャーチン提督が、皇帝ニコライ一世の命令でディアナ号に乗って来航しました。当時ロシアは、クリミヤ戦争の真最中で、イギリス、フランスと戦っていましたが、アメリカが日本と和親条約を結んだことを知り、危険を冒して来航し、条約締結を求めて来たのです。1854年11月第1回目の日露交渉が福泉寺において開かれ、双方の主張がのべられました。その後、第2回目の交渉を約束後、不運にも翌日に大地震が発生し、津波が下田をおそいました。津波により、プチャーチンの乗っていたディアナ号は大破し、自力航行不能になってしまいました。戸田へ修理のために戻る途中、風と波により、ついに沈没してしまいました。乗組員約500人は、全員救助され戸田へ収容されました。それでも12月21日には長楽寺で日露和親条約が締結されたのです。今でもこのときの津波で犠牲となった人達を供養する「つなみ塚」が稲田寺に残されています。

その後、ディアナ号の沈没を知った戸田の船大工と住民が協力して、新しく洋式船 を造りあげました。プチャーチンは住民に感謝して、この船の名前を"ヘダ号"と名付けて47人と共に帰国しました。

このように、日露の交流は民間交流からはじまったと言えるかもしれません。今後も日本とロシアはあらゆる分野で交流が深まっていくと考えられます。私も、今回の記念行事に参加でき、とても光栄です。

数年前にこういう調査が行われました。日本人にはロシアが好きか、ロシア人には日本が好きかを質問しました。そしたら、驚くべき結果がえられました。過半数のロシア人が日本を好きと答えたのにたいし、ロシアを好きと答えた日本人はわずか5パーセントでした。これは非常に残念な結果です。いまだにロシアは怖い国だというイメージがあるようです.このイメージを変えてほしいです。

今年の6月にはトヨタがサンクトペテルブルクで工場建設の起工式をおこないました。国レベルではなく、企業を含めた民間レベルでの交流が今後はさかんになるでしょう。日本とロシアは近くて遠い国という今までの固定概念を変えていきたいと思います。今年は日露交流150周年です。プチャーチンの思い出の地、つまり、交流のきっかけとなった土地をめぐることにより、私自身もいまいちど、日露関係について考え、そしてみなさんと新たな交流の歴史をつくっていきたいと思います。