若手研究者等フェローシップ(2010)



近藤 扶美子
2011年4月

4月中見学した博物館の中からシャリャーピンの家博物館について報告したい。シャリャーピンの家博物館は天才バス歌手フョードル・シャリャーピン(1873−1938)の亡命前ロシア最後の家(1914〜1922年居住)を博物館にしたもの。イワン雷帝などの舞台衣装、小道具、公演ポスター、写真、身の回り品、立派な調度品で設えられた部屋などを見ることができる。衣装や子ども専用だったという玄関にかけられた外套などを見ると、シャリャーピンがそれこそホッケー選手のような体格であったことが実感される。シャリャーピンは1936年に来日公演を行っているが、その際帝国ホテルに滞在し、シェフにステーキの調理法に関して注文(教示?)、それがシャリャーピン・ステーキとして日本の洋食に定着したという話がある。同年生まれのラフマニノフとの親交がよく知られているようだが、博物館ではゴーリキイとの親交を示す写真や私物(ゴーリキイからの贈り物)などがたくさん展示されているのが印象的だった。以下興味深い展示について紹介したい。

シャリャーピンとゴーリキイの肖像写真。「ゴーリキイとシャリャーピン」と可憐な文字で印字されている。プリクラ写真のよう。絵葉書とあったが、ブロマイドのようなものか。
ゴーリキイのダーチャでの写真。椅子に座るシャリャーピンがあけている大きな口に、ゴーリキイが槍か何かのように持ったホウキを向けている。ダーチャの窓のカーテンの奥から女性の笑顔がのぞいている。大変楽しそうである。あまりブレがないようなので、気楽な光景ながら撮影には苦労したのではないかと思う。
シャリャーピンの私物:猫の絵の灰皿。周りの調度品に比べて、大変あっさりとした現代的なデザインで、可愛らしい歌う猫が描かれている。 "chat liapine"と書いてあるが、これは"シャ(猫)・リアピン(姓)"で猫リャーピン、Chaliapineをもじったシャレなのか。


2011年5月

ソログープのお墓があるスモレンスキイ墓地には、私の知人の親戚のお墓もある。ロシアでのお墓参りの礼儀などがあるかと同行を許してもらった。本来は「勝利の日」にお墓参りをするそうだが、前日の雨で墓地の土がぬかるんでいるとのことで翌週の晴天が続いた後の晴れた日に行くことになった。スモレンスキイ墓地は緑が多く、小鳥や鳩、カラス、野ネズミなど動物の姿も見られる。大きく区画のようなものに分けられており、ブロークのお墓などがある小路には"ブローク小道"という標識も立っているが、区画の中に入ると割と入り組んだ形でお墓が並んでいる。

実は4月のまだ雪が残る頃、ソログープのお墓参りにと訪れていたのだが、その際はお墓の間で迷い結局行きつくことができなかった。道を探している途中、ダララララッと妙な音がして何事かと見渡すと、頭の赤いキツツキがすぐそばの木をつついているのであった。お墓の陰には茶色で尻尾の短いネズミが時々鳴き声を上げながら行き来し、すぐそばのお墓の十字架の上に掌の半分よりも小さい小鳥がやってきてさかんに首をかしげたりする。もしかすると肩まで乗ってくれるのではないか、野鳥ではなく半野鳥といった具合に食事を人間の手から受け取っているのかもしれないという程の警戒のなさである。お墓には墓石の前にそれぞれ花壇が設けられているものがある。造花が生花のように植えつけられていたり造花で作られたリースのようなものが飾られていることも多いが、雪がとけてみると、コシの強い鳥の羽根でできた扇を半分広げて土につき立てたような姿で、緑の草が勢いよく生えていることもある。シダ植物のようで雑草かと思われるが、瑞々しく鮮やかな緑が華やかで、花壇の部分を選んで飾り立てるように生えている。知り合いの親戚のお墓では冬の間供えていた造花、プラスチック製の松の葉の飾りを寄せ、花用の土を新たに敷き、故人の名前にちなんだ名前の花の種がひ孫にあたる男の子の手で植えられた。1週間もすれば芽が出るとのことで、家族でダーチャに行っている間にお花がお墓を彩ってくれるということだった。墓石を洗ったり花壇を整えたりという作業が一通り終わると、家長にあたる男性がウィスキーの瓶と小さなコップ数個、板チョコレート、お孫さんのためのジュースの小瓶を鞄から取り出し、ウィスキーを大人の人数分コップに注ぎ始めた。私のためにと自家製の果実酒を別に用意までして頂いた。まずは故人を偲んで、また墓前にいる皆それぞれの健康や仕事などの成功を祈りながら何度も杯が空けられ、瓶が空になるまで続けられた。ここまででお墓参りは完了とのことだった。

ソログープのお墓に花壇はなく(妻チェボタレフスカヤのお墓には花壇のようなものがある)、墓前でお酒も飲まなかったが、故人との別れを意味する偶数本のカーネーションを供えた。ソログープのお墓は大変わかりやすい場所にあり、前回見つけられなかったことが不思議である。雪で埋もれてでもいたのだろうか。正門から入れば、墓地の区画が始まってすぐの左側、正門から続く大きな道のすぐ脇である。お墓の並ぶ区画内に入り込んでいく必要はない。お墓を柵が囲んでいるが、現在は青い色で塗られているのでより目につきやすいと思われる。