若手研究者等フェローシップ(2010)



片桐俊浩
2011年5月

図書館で考えた

17時ごろ、クレムリンに面した側のレーニン図書館の窓を通して、青色の回転灯をつけて慌しく過ぎ去る車列が見えることがある。閲覧室にいても、この車列の発する「ギイギイ」という、他の車両への警告音が聞こえてくる。この音が聞こえてくると、「ああ、もうこんな時間か」と時計を見ることになる。

この車列は果たして大統領のものだろうか?クレムリンの方角からモスクワ市中心部のノーヴィー・アルバート通りを経由してモスクワ市西郊に向かっているので、高官であることは確かだ。モスクワ市西郊には、メドヴェージェフ大統領やプーチン首相の公邸がある。プーチン首相の勤務するホワイトハウス(政府建物)はレーニン図書館よりも西側にあるので、車列の中心人物はプーチン首相ではない。メドヴェージェフ大統領かもしれない。例の車列は図書館の角を曲がる。その真下には地下道があり、その時間帯の通行は規制されていない。他用で17時に図書館に入ろうとしたときも、例の車列が傍を通り過ぎるのを見た。

クレムリン周辺で大統領に関連した行事がある度に広大な規制ゾーンが設定されることを考えると、これほど把握が容易な車列の中に大統領がいるとは到底思えない。「ソヴレメンニク」劇場芸術主任のガリーナ・ヴォリチェクによると、大統領時代のプーチンが同劇場を訪れた際、プーチン来訪の最後の瞬間まで情報が完全にコントロールされていたという。「プーチンが来る」という事実すら、主任に隠されていたというのである。ヴォリチェク主任は、「誰か政府の人が来る」とだけ予告され、「誰」が来るか知らされなかった、「ソビャーニンが来る」というような偽情報すら政府関係者から耳打ちされたと述べている(『イトーギ』誌2011年4月11日号、71頁)。

大統領どころか、地方に派遣されている大統領全権代表の車列にすら近づくのは困難である。ノヴォシビルスク滞在中、歴史研究所長の車に乗っていると、猛スピードで通り過ぎる車があった。「これはナチャリニク(=長官、ボス)の車だ」といって研究所長が後をつけようとしたところ、前方に待機していた警察官が我々の車に停車を命じた。警察官は身分証を確認し、「なぜ全権代表の車の後ろにつけたのか」と聞いてきた。怪しい車や人物があれば迅速に連絡が回り、事前に配置した係官がチェックを行う体制である。大統領の車列の管理はこれよりもっと厳しいのではないだろうか。

・・・

真相は謎である。いずれにせよ、もう夕方なのでクレムリンに面した窓の傍を通って食堂に向かうとしよう。18時には食堂が締まり、お茶も飲めなくなるのだから。お茶について言えば、私はコップとお茶パックを持参して図書館に来ている。サモワール(湯沸かし器)のお湯は無料だ。

食堂は地下1階にある。油でギトギトになった「マカロニ(ロシア語ではパスタ全般を指す)」とスープ(「シチ」かインゲン豆のスープ)、それに少々の黒パンを注文して席に着く。この食堂では肉と魚を注文しない。20時まで読書ができる程度の栄養が頭に行き渡ればそれでよい。ロシアの食事がどこでもこのように貧弱な訳ではない。むしろ、ロシア料理はその豪華さによって有名である。つい最近読んだ記事には、各国の首脳を虜にしたクレムリンの料理人のインタビューが載っていた(『イトーギ』誌2011年2月14日号)。

クレムリンの厨房で30年間働いてきたヴィクトル・ベリャエフ氏。彼はソ連時代から首脳のためのレセプションを取り仕切ってきた。食事の内容、段取り、テーブル。全てが時間をかけて、綿密に準備される。ソ連時代、レセプションの会場はいわば「外国」だったので、料理人はゲストの反応を知るのに苦労したという。クレムリンにおけるレセプションの形式に変化をもたらしたのはプーチンであった。プーチンはソ連時代から引き継がれてきた長大なテーブル(非常に細長く、ゲストはテーブルに向かい合って並ぶ)を廃止し、円卓を採用した。また、ソ連時代に3−4kgも出されていた料理も適切な量へと減らされた。

ベリャエフの腕前は、ニクソン米大統領をして米国につれて帰りたいと言わしめたとか。どのような料理なのか味わってみたいものである。残念ながら彼は引退してしまった。少年の頃に歴史研究を志したベリャエフ氏は、手に職をつけることを重視した祖父の意向によって料理の道へと進んだ。祖父のアドヴァイスがなければ、今頃は私のテーブルの近くで油に塗れたマカロニを食べていたのかもしれない。