日露青年招聘・派遣事業

国際青年フォーラム セリゲル2010
日本人参加者派遣プログラム(2010年6月30日~7月10日)

セリゲルとは湖の名称で、モスクワから北西に約360キロのところにあるロシアのリゾートです。ここで今回行われた「国際青年フォーラム セリゲル2010」は、ロシア政府の一機関である青年問題局の主催によるプログラムでした。セリゲルのセミナーキャンプは、2005年開始当初は、「ナーシ」と呼ばれる政治色の強いロシアの青年団体を主体としていましたが、今回は、イデオロギー色が薄まり外国により開かれたロシアをアピールするという意図があって、多くの外国人が招待されました。日本に対しても積極的な働きかけがあり、それに応える形で、日露青年交流センターでも25名の学生と社会人を派遣することになりました。キャンプ生活をしながら、日中は、政治・経済・社会・技術・環境・芸術などの分野で専門的な講義を受け、参加者同士がディスカッションをする、というもので、この他スポーツやエンターテインメントなどの時間もありました。専用のHPが作成され、日々新しい情報が発信されるにつれ参加者の期待が高まる中、90カ国から800人以上の外国人と1500人以上のロシア人が集まったこのイベントは、実際には大混乱の中で始まりました。直前まで「ビザが出ない!」という世界各地にいる参加者からのSOSメッセージを横目に見つつ、日本人参加者は成田空港を出発しました。


モスクワで一泊した後、日本人参加者がいざキャンプ会場へ移動しようとした日、ロシア側が手配していたはずのバスが来ず何時間も待たされ、やっとキャンプ場に到着したと思ったらすでに開会式は終わっていて、おまけに集会場となる広場では数ある国旗の中に日本の国旗が掲げられておらず、「キャンプでの公用語は英語」のはずなのに配属されたテントのロシア人リーダーは英語を全く話せない。。。。キャンプの初日からこの調子でした。翌日も、あると聞いていたお湯のシャワーがなかったり、食事は自分たちで薪を割り火を熾すところから始めないと食べられないということが分かったり、と想定外の出来事は次々と起こるのでした。


セリゲル湖の向こう岸にある修道院。
第二次世界大戦中は、ポーランド人の収容所でもあった。

一方で、キャンプ1~2日目に疲れた表情を見せていた日本人参加者は、日が経つにつれ元気になり、眩しいほどの笑顔を見せ始めました。キャンプ生活を楽しむ参加者、周りのロシア人をはじめとする様々な国の青年との交流を楽しむ参加者、日本ではとうてい経験できない刺激たっぷりの非日常的な環境を日が暮れるまで満喫していました。そしてもちろん、セリゲル湖の自然の美しさもそんな環境づくりに一役買っていました。







以下、参加者が後で「サバイバル」と呼んだキャンプの典型的な一日(報告者の場合)を追ってみましょう。


朝6:00頃 空が白々と明けはじめ、鳥たちのさえずりが聞こえ始める。規則では7:00まではテントから出て活動することは許されていないため、早く水浴びをしたいと思いつつも寝袋の中でじっと我慢。


シャワールーム。

各班に1つ。足元のポンプを足で踏んで
ホースの上から水を出す。ただ、水は、自
分で確保しなくてはならない。これが大変。



7:00 狭くて蒸し暑いテントから抜け出し、湖で水浴びをする。水はちょっと茶色いが、常に自分で水を補給しなくてはいけないシャワーよりはてっとり速い。男性たちは、水を汲みに行ったり、薪を割ったりと忙しい。 


8:00 大音量でロシアの国家が流れ起床。





9:00 メインステージでの集会に参加。
参加者は出席が義務で、テントにもぐって寝ているとひっぱり出される。♪ダバイロシア、ダバイダバイ♪というテーマソングがかかり、急ぎ足で集会場へ。その日のイベント紹介、注意事項、要人のあいさつなどがある。その後、マラソン(5キロ)またはエアロビ体操の時間。





9:30 朝食。ロシア風のおかゆ(カーシャ)かスープとパン、ビスケット。きゅうりやトマトなどもある。基本は自炊だが、班によっては食事を作ってくれるロシア人がいる。セリゲルHPでは、各テントに料理をしてくれる人がいると書いてあったのだが。。。。 この時間に、できる限り日本人参加者の様子を見にあちこちのテントを見て回るが「元気?」の問いに「まあ、なんとか」とか「はい、楽しんでいます」とか「そろそろ限界です」とか、みんな正直に答えてくれる。




10:00 講義(各グループ別)しかし、テーマと内容が必ずしも一致しない、急に講師が変更になったり、講義がキャンセルされることがある、もっとアカデミックな内容を期待していた、など概してあまり評価は高くなかった。


11:30 各班でのシェアリング・ディスカッション
(実際には雑談で終わることも。)








13:00  昼食。今日はマカロニか、ボルシチか。後半には、缶詰のお肉と魚には正直うんざりする。


14:30 教育プログラム いくつかあるプログラムの中から興味のあるものを自由に選択。国際フォーラムと同時進行で同じ場所でロシア人のみの芸術フォーラムが行われており、この2つのフォーラムの区別が明確でなく、レクチャーはロシア語だけのものもあった模様。本来であれば、午後のレクチャー参加も義務らしいが、実際にはこの時間は、空いているテントでパソコンや携帯の充電をしたり、他国からの参加者と自由に交流したり、テントのグループごとにスポーツをしたりと、比較的自由な時間。




18:00 各レクチャー終了
夕食 種類が限られた材料をうまく利用し、外国の参加者のお国自慢の料理も振舞われる。後半になると、肉じゃがを作ったり、お寿司に挑戦したり、と日本人も奮闘していた。ちなみに、キャンプ場へのアルコール持ち込みは禁止されていて、入り口で液体の持ち物を厳しくチェックされる。


21:00 夜の集会 朝の集会と同じような内容。


夜 スポーツ、ダンス、音楽などさまざまなイベントがある。焚火を囲んでギターをひいたり、ビーチバレーをしたり、ディスコで踊ったり、コンサートに行ったり。若者は忙しい。テントの近くには照明設備はなく、日が暮れて暗くなる夜11時以降は真っ暗。なぜか、「アントーン!!!」とみんなで叫ぶゲームが流行していて、夜になるとあちこちのテントから聞こえる。







夜1時 就寝(この時間以降にテントの外を歩いたり、大声で話したりしてはいけない)テントの中には、大きな蚊がいて耳元で羽音が聞こえる。同じテントのロシア人2人がひそひそ話をしている。寝返りを打つほどのスペースがないので、寝袋にもぐり蓑虫のような状態で、眠ろうとする。寒い夜もあれば暑い夜もあり、時々雨がパラパラと降ってきて、表に出している荷物の心配をしているうちに、うつらうつらしてくる。そんな時にまた「アントーン!!!」と隣のテントから叫び声が聞こえる。


以上、セリゲルの1日でした。これがほぼ6回くり返されたことになります。また、この一週間の間に、日本からの提案により実施されたプログラムが2つありました。


◎二国間交流

キャンプに到着した翌日の7月2日は、日本とロシアの二国間交流プログラム、"Building the Future of Japan-Russia Relationship"と題して、グループディスカッションを行いました。日本側からは、コーディネータを選出し、3名の基調報告者も準備を進めていましたが、一方でロシア側の参加者が集まるのか集まらないのか、ロシア側代表者は誰なのか、そもそも実施できるのかできないのか直前になってもわからず、そのため両国参加者間の事前の調整は何もなく、当日朝からあちこち宣伝してまわって何とかロシア側参加者を確保するような状態でしたが、何とかロシア人が集まってきました。会場には、依頼してあったパソコンやモニターはなく、せっかく日本側の基調報告者3名が準備してきたパワポの資料も、出番がなかったのは残念でした。ちなみに、これらの機器は単純に間に合わなかっただけで、数日後には設置されたのでした。 日本側コーディネーター(野村総合研究所 藤田葵さん)の進行のもと、日本側学生3名がそれぞれロシアの経済(京都大学 南和志さん)、政治(早稲田大学 進藤奈緒さん)、マスメディア(同志社大学 古山彰子さん)に対する提言を行いました。

いずれの発表者も、想定外の環境にも関わらず落ち着いた態度で、率直な意見を分かり易く伝えていました。その後、3グループに分かれての意見交換では、ロシア人参加者から積極的に意見が出て、それをまとめて各グループのロシア人代表が発表しました。当初は、この後基調報告者からのコメントを踏まえ、総合的なまとめをする予定でしたが、2時間確保されていたはずのテントが、実際には1時間半しか確保されておらず、急遽予定を変更してまとめに入る、という一幕もありました。


ここでも手配の詰めの甘さが露呈されてしまいましたが、コーディネータの藤田葵さんに臨機応変に対応してもらい、何とか形にすることができました。


◎日本文化紹介イベント"Japan Pavilion"

今回、日本人参加者に最も好評だったのは、7月6日の夜の日本文化紹介イベント"Japan Pavilion"でした。早稲田大学の藤田茜さんを中心に企画されたイベントで、書道、着物、日本の伝統的なおもちゃ(折り紙、剣玉など)、日本茶、クイズなどのため、日本から様々な物品を準備して行きました。イベントの会場が敷地内の少し外れた場所で、同じ時間にサッカーワールドカップの準決勝や、大ステージでのエンターテインメントなどもあり、集客が不安でしたが、いざ始まってみると、多くの人が集まり、大盛況でした。持ち時間の2時間はあっという間で、夜11時を過ぎてだんだん暗くなってきてもテントの中は人でごった返し、熱気は冷めやらずで、最後は「もう終わりです!」と半ば強引に終了させたのでした。

日本人参加者は、ロシアで日本文化が好意的に受け止められていることを身をもって体験しました。限られた時間の中での準備は大変でしたが、それ以上の喜びを感じることができたと思います。



書道(外国人の名前を漢字で書いてあげる)、日本茶サービス、着物の試着、日本のおもちゃ体験、日本クイズなど。時間と設備不足のため、あらかじめ練習しておいたよさこいソーランをこの日披露できなかったのが残念。



イベント終了後の充実感に満ちた笑顔。
お揃いのTシャツは、今回の参加者でありデザイナーでもある上野勝義さんのデザイン。

7月7日 最終日は、いつもの日程の後、夜9時から閉会式がありました。翌日に予定されていたメドヴェージェフ大統領との会合のための交通規制を心配してか、一部の参加者はすでにキャンプ場を去っている中での閉会式でした。日本のグループも、残念ではありましたが参加者全員の体調を考慮して翌朝キャンプ場を去ることにし、1週間まさに寝食を共にした友人達と別れ、モスクワへと出発しました。


無事に"サバイバル"キャンプ生活を終え帰国した参加者達からは、その後も色んなメッセージが送られてきています。来年も是非実施して欲しい、自分の大学の友人や後輩にも是非経験させてほしい、との声もあります。あれだけ大変な思いをしたのになあと思いつつ、アンケートを見直すと、きちんとお膳立てされたプログラムとは違う生のロシアらしさを経験したことを、好意的に評価する意見が印象に残ります。また、ロシア与党の政治色が強い集会に、日本の感覚を持ったままで入り込むという経験をし、ロシアの内側からロシアの政治活動を見ることができた貴重な機会でもあったのかも知れません。もちろん、その逆で、期待はずれであったとの評価もあります。プログラムに対する評価は、三者三様ですが、日本人の青年達の視野を広げる貴重な機会であったことだけは確かです。



報告者:日露青年交流センター 同行者(林さおり)


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