若手研究者等フェローシップ(2009)



岩崎理恵
2010年1月

筆者の研究対象は、19世紀末に活動したロシア象徴主義の代表的詩人、アレクサンドル・ブロークである。1月中旬、モスクワ郊外のブロークゆかりの地シャフマトヴォ及びタラカーノヴォを車で訪れる機会に恵まれた。

ブロークの書斎

シャフマトヴォはブロークの母方の祖父で、ペテルブルグ大学総長であり植物学の権威でもあったアンドレイ・ベケートフが手に入れた領地である。現在博物館として復元・保存されている屋敷は、一家の夏の別荘として使われていたもので、詩人も長年にわたり、夏ここに滞在して多くの作品を書いた。中でも処女詩集であり、代表的詩篇でもある「麗しの淑女の歌」は、ここシャフマトヴォの自然と、そこでの出会いと深く結びついている。

1901年から1902年にかけて書かれた「麗しの淑女の歌」は、哲学者ウラジーミル・ソロヴィヨフの唱える、ソフィアの訪れの予感を歌うと同時に、詩人が恋していたリュボーフィ・メンデレーエヴァ(著名な化学者メンデレーエフの娘)への思いを綴った詩篇である。

メンデレーエフ家の別荘ボブロヴォは、シャフマトヴォから8キロほど離れた丘の上にあり、ブロークはしばしば馬に乗って通い、リュボーフィと共にアマチュア演劇に熱中したとされている。今回、シャフマトヴォ側からはるかボブロヴォの丘を望んだが、明かりも届かないであろう距離で、両者をつなぐものは空と、見渡す限りの野と林しかない。その光景を目のあたりにし、詩篇の中で「私」と「彼女」をつなぐよすがとして、太陽や月、星と、それをめぐる自然の営みの様子が繰り返し描写される理由が、別の意味で分かったように思った。

リュボーフィとブロークは1903年に、シャフマトヴォからほど近いタラカーノヴォ村の教会で結婚式を挙げるが、今回はその教会跡地も訪れることができた。残された模型を見ると、元は大きなドームをいただいた立派な教会であったらしいが、第2次世界大戦時にドイツ軍の爆撃を受け、その後いまだに復元中の状態で残っているという。


プリャーニク

シャフマトヴォの屋敷も、革命時に焼け、家具や食器など家の備品も近隣の農民に荒らされたため、元のままの姿とは言えない。が、周辺の野や林のたたずまいは、変わらず美しいのだろうと思われた。

翌週には、モスクワから南に200km下ったトゥーラ州にあるトルストイの領地「ヤースナヤ・パリャーナ」に出かけた。

トゥーラはサモワールと、プリャーニクという焼き菓子で有名であるが、この時も真冬の寒さの中、街道沿いにプリャーニクを売るテントが並んでいたのには驚いた。


ヤースナヤ・パリャーナ

ヤースナヤ・パリャーナは、博物館になっている家と離れを始め、納屋、リンゴ園、沼や林などを含む広大な領地であるが、この日は、敷地内にあるトルストイのお墓に行くわずかな間もつらいほどの、大変な寒さであった。モスクワを出る時もマイナス15度であったが、トゥーラはさらに10度ほど気温が低いのが常らしい。

ただ、さすがに観光客が少なく、博物館内は詳細なガイド付きでじっくり見て回ることができたほか、トゥーラ国立教育大学のトルストイ研究者エフゲーニヤ・ブレシュコフスカヤ女史にガイドしていただいたおかげで、一般には公開されていない、トルストイ夫人のソフィアの部屋にも立ち入らせてもらうことができた。部屋の隅には、トルストイ家に代々伝わるという大きなイコンが掲げられ、壁には夫人自ら撮影したという、家族や友人の写真が無数に飾られていた。

2010年はトルストイ没後百周年の年に当たり、いつにもまして訪問者が増えることが予想されるものの、夏、景色の一変したヤースナヤ・パリャーナをぜひまた訪れてみたいと考えている。