日露青年招聘・派遣事業

サンクトペテルブルク国立大学法学部国際学生会議参加者レポート

Ⅸ Международная студенческая научная конференция
≪Европейский Суд по правам человека и национальное
законодательство≫



2009年3月20から22日までサンクトペテルブルク国立大学法学部で開催された第9回国際学生法律会議に日本から法学部の学生・大学院生5名が参加しました。日本からは2度目の参加でしたが、英語の分科会では、参加者の河手賢太郎さんがベストスピーカーに選ばれました。 河手さんのプレゼンテーション要旨はこちら (Wordファイル)


昨年12月に交流プログラムで来日した同大法学部の学生、スタニスラフ・ボロダエフ君とニキータ・コフ君には、到着から出発までずっとお世話になりました。また、2006年に北海道で行われた日露学生フォーラムの参加者2名(1名は現地参加、もう1名はフランスからの参加)も加わって、交流事業の広がりを感じました。


1.2009年 国際学生法会議(iSLaCo’2009)概要


(1)主催: サンクトペテルブルク大学法学部学生学術協会

(2)開催期間:2008年3月21日~23日

(3)テーマ:「欧州人権裁判所と国内法」(European Court of Human Rights and national legislation)

(4)会議での使用言語:英語(ないしロシア語)

(5)海外からの参加大学

ドイツ:3名 カナダ:1名 フランス:1名
ラトヴィア:2名 ハンガリー:2名 ブルガリア:2名
ガーナ:4名 オランダ:2名 スイス:1名
アメリカ:1名 ウクライナ:9名 日本:7名
など計30数名

2.派遣日程


3月18日 成田発

3月19日 総領事館訪問、郊外視察

3月20日 会議第1日目(開会式、法学部内視察、分科会、文化プログラム)

3月21日 会議第2日目(市内バスツアー、特別講義、分科会、閉会式)

3月22日 市内視察、交流プログラム

3月23日 サンクトペテルブルク発帰国

3月24日 成田着



3.事前説明会


3月4日、外務省の会議室で事前説明会を行いました。日露青年交流事業の概要や、ロシア情勢、日露関係についてブリーフィングを受けた後、昨年この会議に参加された石神輝雄さんと三谷紗織さんが経験談を話してくださいました。初めてのロシアで参加する国際学生会議に不安を感じていた参加者は、お話を伺って少し安心することができました。その後、お二人を交えて、会議で発表する内容について意見交換を行いました。 昨年の経験を踏まえたアドバイスは、参加者にとってよい刺激になったようです。予定時間を延長して議論が続きました。


4.詳細日程 (参加者、松田さんのレポート)


3月18日(水)

成田空港第一ターミナルのチェックインカウンター前に午前10:30に集合し、皆で発券・チェックイン手続を済ます。日露青年交流センターの方が見送りにきて下さり心強かった。飛行機の中では、参加者は各自思い思いの時を過ごした。参加者同士もまだ2回ほどしか顔合わせをしていなかったので、お互いの遍歴について語り合ったり、会議のテーマについて議論をしたりしていた。私は準備不足もあって、ひたすら会議で発表する原稿づくりと発表の練習をした。モスクワに着くと、日本人のスタッフが案内して下さったおかげで、スムーズに入国手続・トランジット手続ができ、ロシア語を使わざるを得ない局面はなかった。サンクトペテルブルクに着くと、現地のロシア人学生が出迎えてくれた。参加者5人は別々の車で寮に送ってもらった。車酔いをし易い方は酔い止めを飲んでおくといいと思われる。(私は車内でダウン。服用しました。)私たちの滞在した寮は、内装が新しく、各部屋にトイレ、シャワー、机、冷蔵庫、クローゼットが付いており非常に快適な所であった。また暖房器もあったため、寒さは問題にならなかった。



3月19日(木)

<エカテリーナ宮殿>

総領事館を訪問する日。午前中に総領事館からの出迎えがあり、総領事館でロシアについての興味深いお話を伺うことができた。その後、エカテリーナ宮殿をロシア人案内のもとに視察。エカテリーナ宮殿のすばらしさに皆で感嘆した。



<血の上の教会>

視察後、ロシア人学生と合流し、市内を視察。
主にカザン聖堂、血の上の救世主教会(Храм Спаса на Крови)や宮殿広場、ネフスキー大通りが中心であった。その後、総領事館主催の夕食会に招かれ、非常に貴重な時間を過ごすことができた。



3月20日(金)

会議の初日を迎えたこの日、一部のメンバーは集合時間の何時間も前から発表原稿を片手に集まっていた。それまでにも個々人で発表の練習を重ねていたが、当日になって襲ってくるプレッシャーは比べ物にならなかった。自分のプレゼンをメンバーに読み聞かせ、更にそれに対する意見や反論を受け取る。仲間であり、ライバルでもある日本人メンバーとの切磋琢磨を感じた瞬間であった。昼前に会場に入り、各国からの参加者との顔合わせを終えると、ロシア側の学生たちが校内を案内してくれた。そして分科会では、発表内容が被っていたり、発表が長すぎたりといったハプニングがあったものの、それ以上に活発な議論が飛び交っていた。残念ながらこの日の日本人の発表は一つだけで終了時間がきてしまったが、それは教室内のボルテージが最も高まった瞬間であった。



3月21日(土)

会議2日目。午前中は参加者一緒にバスで市内観光を行った。昨夜の嵐とは一転して大変気持ちの良い快晴ということもあり、夢のように美しい町並みを存分に堪能できた。法学部教授による講義の後、分科会の発表の続きが始まる。日本側参加者のほとんどはこの日に発表をしたが、昨日に劣らない活発な議論ができた。日本の死刑制度について日本側参加者の二人が明確に対立する意見の発表を行ったとき、担当教授が「同じ国からの参加者でこれほど意見が違うのも面白い」というので、私が一言 ”Freedom of Speech!” と述べると会場で笑いが起きた。閉会式では日本からのメンバーがベストスピーカーに選ばれ、非公式クロージングプログラムでも即興のコサックダンスで場を盛り上げるなど、日本の参加者が大変目立った日であった。



3月22日(日)

前日のクロージングプログラムでは他の参加者と深夜まで語り合った後の心地よい疲れを残しながらの最終日。朝食後、寮のあるヴァシリエフスキー島から徒歩で1時間ほど小ネヴァ河岸に沿って中心部へ向かう。地元でも人気のカフェでピロシキやシー(スープ)を楽しんだ後は、エルミタージュ美術館で組織委員会主催のエクスカーションに参加した。18~19世紀にかけて造営され、もとはロマノフ家の居所であった冬宮を中心とした建造物群には300万点以上が収蔵されており、閉館時間まで各所を回った。その後ロシア人学生と合流し、ネフスキー大通りやデカブリスト広場を散策。夕刻から、希望者はムソルグスキー劇場で当地を舞台としたチャイコフスキーのオペラ「スペードの女王」を鑑賞した。



3月23日(月)

皆で部屋に集まってロシアで朝ご飯を食べるのも今日で最終日。午前中にお土産を買いに町の中心部に出かけた後、寮に戻って迎えにきてくれたニキータと一緒に空港まで車で移動した。別れの挨拶をして飛行機に乗り込んだ後も、ロシアを出るまでのもう少しの間は緊張を緩められない。最後まで何もトラブルが起きないよう気をつけながらモスクワで乗り換え、成田行きの飛行機に乗ったところでほっと一息をついた。飛行機の中でも「今後の人生における今回の旅の意義」など充実した議論が続き、最後の最後まで充実し切った一週間であった。成田空港では再会を約束して解散。お疲れさまでした!


5.参加者の声

◎ 河手賢太郎 (東京大学大学院法学政治学研究科2年)

皆様、こんにちは。私は東京大学法学政治学研究科法曹養成専攻2年の河手賢太郎と申します。この度は、サンクトペテルブルク国立大学法学部での会議に参加させていただきました。会議自体は、3日間という短い期間でしたが、事前準備の過程で、また会議の場で、多くの出会いと学びの機会を与えられたことを感謝致します。


私はこの度初めてロシアに行きましたが、ロシアに対しては長い間、憧れを持ってきましたが、ともすると領土問題や民族紛争の文脈でメディアに登場し、ネガティブなイメージが伝えられがちなだけに、ある種の警戒心も抱いてきました。そういう、どっちつかずの感情とそして「どこか遠くにある国」というロシアに対する拭いきれないイメージを、ロシアの人々と直接交流する機会を持つことで整理したいと思い、また交流を通して自分自身が伝えられることを探っていきたいと思い、この会議に参加しました。


私たち日本からの参加者5名は発表者として英語の分科会に参加しました。私にとって、最も一番印象的だったのが、リトアニアにおける元KGBメンバーの私企業への雇用を制限する法律を扱った発表です。この法律自体は欧州人権裁判所の判決を経て、2007年5月に修正され事実上廃止されたそうですが、「この法律を合憲と判断したときの論理構成がどうなっているのか」という質問をきっかけに、ロシア及び日本を含め各国の憲法上の権利の制限のされかたの議論に発展しました。私自身が心がけていた「日本からの参加者として、新しい視点を提供する」ことができ、嬉しかったです。その他、会議を通して気づいたことは、英語分科会に限らず、会議参加者が全般的に非常に流暢に英語を話すこと、またロシア人の学生と話をしているとよく将来の展望を聞かれ、法律家としてどういうキャリアを築いていくかの意識が非常に高いとの印象をうけました。


会議を離れ、自由時間に多くの人と交流する機会を持てたことも非常に有意義でした。この交流の場で、ロシア人学生一人一人の温かさ、優しさ、奥ゆかしさに触れて、それまで抱いてきた「ロシア人」のイメージが氷解していくのを感じました。むしろ、自分の中では「ロシア人」と交流しているというよりも、むしろ今目の前にいる、この会議がなければ知り合うこともなかった、その名前をもった具体的な個人と、こうして空間と時間を共にできる喜び、感動、感謝の気持ちを、本当に限られた時間のなかで、目とか手振り、身振りでなんとか精一杯伝えようとしていた気がします。


この経験を通して、いままで「ロシア人は?」という全称命題で語っていた自分自身の至らなさを痛感しました。これまで自分で自分の耳目を塞いできたんだな、本当にもったいないことをしていたんだなと。


もちろん、私は、サンクトペテルブルクに来て、光の面ばかりを経験したわけではありません。3月22日の日曜日、昼食時、ネフスキー通り沿いのレストランで、日本からの参加者とロシア人の知り合いの3人で窓際に座っていざ食べようという時、路上にいた突然二人組の男性が、突然思い付いた様子で、私たちの方に近づいてきて、窓をバンと激しく叩き、窓に向かって唾を吐きかけて去っていきました。一瞬の出来事で、私は非常にショックを受けました。この一つの経験で「ロシアは嫌い」、「ロシアは苦手」となってしまうのも仕方がないと正直思いました。私も19日、20日、21日での思い出が、この一瞬の出来事で覆されるような思いに駆られました。


でも落ち着いて考えてみると、その二人の男性の姿は、今まで「ロシア人は?」と語ってきた自分自身でもあったのではないかと思い至りました。よく分からない存在で、「どこか遠くにある国」にいる人を十把一絡げで把握しようとしていた自分自身の傲慢さに気付かされた瞬間でした。「怖いけれど、あの二人と直接話しがしたい。」と思い立ったもののもうどこかに行ってしまったあとでした。


この4日間という期間で多くのことを経験し学ばせて頂きました。ただ、当初掲げていた課題の一つ、すなわち「ロシアに対するアンビバレントな感情の整理」は果たせないまま日本に帰って来ました。しかし、無理して整理しなくてもいいのかな、わからないままでいるのも一つの「整理」なのかなと思うようになりました。Judgmental にならずに、これから一生かけて、ロシアの方一人一人との出会いや対話を通して探求していけばいいのかなと思うようになりました。


自分のこれまでを振り返ると、私は学部時代を通して海外志向の強い人間でした。(今でもそうですが。:)ただ、今回の会議参加を経て、自分が日本にあって、ロシアから来る青年達、またその他の色々な国からくる青年達を迎える立場にいることの恵みに気付くことができました。それは、この度、私たちに付きっ切りで案内してくれたロシア人学生のスタニスラフとニキータが、サンクトペテルブルクという自分の与えられた環境・持ち場のなかで法学徒として一生懸命日常の研鑽を積みつつ、私たちの訪問という非日常をもこなす姿を通して気付いたことでした。日露両国の交流、そして日本と世界各国との交流の架け橋となり、私自身が、これまで訪れた多くの国でその国の人から受けた恵みを、次へ次へと伝えていきたいと思います。


最後に、この貴重な機会を与えて下さった皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。これからも多くの日本人学生がこのような素晴らしい経験をすることができるようにお願いします。 どうもありがとうございました。



◎ 中村一揮 (慶応義塾大学総合政策学部2年)

灰色の空に殺風景な街並、そしてどこか暗い面影を抱く人々。これまでロシアという国に対する私の印象はこのような陰気臭いものでした。アメリカで育った私にとってどうしても好きになれず、暗いイメージの付きまとっていたロシアが、この数年間で飛躍的な成長を記録し、その国民が世界中で活躍している。「自分のイメージを覆す何か」がある、とロシアについて深く知りたいと思っていた折に、今回のサンクトペテルブルク大学法学部の会議の募集に出逢いました。私は法学部の学生ではないのですが、「なんとかロシアを訪れ、そこで多国籍の学生と議論してみたい」という強い思いが私を応募へと導いたのです。そしてその意気込みが評価されて選ばれるに至ったのだと思います。だからこそ私は、選ばれたからには「法学部の学生からは出ないような視点」をぶつけてみたいという思いがありました。ここではその内容には触れませんが、日本人メンバーの中には誰一人としてその考えを支持してくれるメンバーはいませんでした。しかし、ロシアで発表すると、私のプレゼンを聞いてくれた人たちが私の意見に対して「新しい視点が得られた」と言ってくださったのです。どうしても会議名が会議名なだけに、法学部生以外の学生は参加し辛いとは思いますが、所属学部だけであきらめるのはもったいないし、逆に法学部生が出せない意見を出せれば良い結果を出すこともできると感じるようになりました。


また会議の場以外でも多くのことを吸収しました。普段は大学でまちづくりや都市工学を研究している私にとって、サンクトペテルブルクの都市構造や建築を見られるということはとても貴重な経験になりました。この街は300年ほど前に人工的に作られた街であり、その後もロシアの文化都市としての顔を今に残している街です。人工的に作られた街だからこそ道幅が広く、街並にも統制が利いています。また古い街並が今に残っていることもこの街の美しさのファクターのひとつです。そこにはこの街に住む人々の意識の高さと理解の深さがあることもロシア人とのコミュニケーションの中で知ることができました。というのも、会議に参加していた学生や我々のガイドをしてくれた学生、更に私の旧友の誰もがこの街の景観に関して誇りを持っており、その美しさを保つためのルールに関しても小さい頃から学んでいるのです。こうした高い意識に関して日本人はもっと見習うべきだと痛感しました。


そして最後に、ガイドしてくれたロシア人学生と話した中で最も印象に残っていることを書きたいと思います。それはロシア人と日本人の今後の関係について、「ロシア人と日本人はその姿や文化こそ違うが、高度な教育を多くの国民が受け、必死で欧米に追いつき、追い越したいと思っているという点で強く類似している」という意見でした。両国にとってこれまで以上に互いの存在を認め合い、国際社会の中で協力していくことで大きな波を起こすことができると感じています。



◎ 松田浩道 (東京大学法学部4年)

今回の旅行は、初めての土地であり、言葉も不慣れで治安状況も日本ほど安心はできないと言う条件の中でしたが、日本人学生5人(現地で合流した2人を加え7人)で協力し合いながら行動し、素晴らしい体験をして、大きなトラブルなしに帰って来ることができました。サポートしてくださった日本側関係者の皆様、そして一緒に行動した仲間のメンバーに感謝の気持ちでいっぱいです。ほとんど良く知らなかったロシアという国を実際にいきいきと体験し、現地でたくさんの友人を得たことは以下に述べるような大きな発見と重要な意味がありました。


第一に、ロシアとの比較の上で日本の特異性を実感するきっかけとなりました。地下鉄でのんきに居眠りしても平気なほど平和な国は世界になかなかないのです。全く検証をしていない仮説にすぎませんが、このことは、学生の法に対する考え方の差にも何らかの形で現れているように感じました。つまり、どちらかと言うと日本側参加者は理想主義的、性善説的であり、ロシア側参加者は現実主義的、性悪説的な捉え方をする者が多かったように思います。ロシアを経験することで自らの生活環境や考え方を相対化する絶好の機会となりました。


第二に、エカテリーナ宮殿やエルミタージュ美術館、チャイコフスキーのオペラといった圧倒的な芸術に触れる機会を得て、サンクトペテルブルクの文化や歴史の厚みを実感することができました。それとの比較で、日本の歴史や伝統文化にもより一層の関心が出てきました。ロシアでは日本語の堪能な学生がエカテリーナ宮殿を案内してくれました。そのお返しに、ロシアからの友人が日本に来た際には上野の東京国立博物館をガイドできるよう、練習を始めようと思っています。


第三に、ロシアやその他様々の国からの参加者と議論する中で、国のあり方を考える機会となりました。私が議論したロシアの学生の多くは「発展途上のロシアには強い指導者が必要」と言いました。私は「それを人権の概念からいかに正当化するのか」などと論争を挑んで互いに大いに楽しんだのですが、ロシアの学生が強い指導者の重要性をほぼ当たり前と考えているのと同様に、日本の我々もまた、人権や民主主義といった概念をしっかりとした検討なしに無批判に前提としている面があります。私はこれらの重要概念を歴史的・原理的に再検討するという、自分自身の今後の研究テーマのヒントを得ることができました。


以上のような面に加え、私に取って何よりも素晴らしいのはロシアと日本、そして世界の数多くの国に新たな友人を得たということです。日本側のメンバーはもちろん、何名かのロシアやエストニア、ドイツからの参加者とはメールを通じて今も交流と議論を続けています。今後もずっと、ここで得た人とのつながりを大事にしていきたいと思います。



◎ 持留宗一郎 (上智大学法学部4年)

サンクトペテルブルク国立大学や、ペテルブルクという都市については、その名称以外ほとんど知る機会がなかった自分にとり、現在では、今回の滞在とともに印象深く残っています。建都300余年を迎えた当地は、人々が絶え間なく活動しており、とりわけ会議に関わった同年代のエネルギーを感じました。20名弱の参加者とオブザーバーを擁したEnglish speaking sectionでは、実にさまざまな視点から人権保障の制度や枠組、今後の展望など、それぞれから普段携わっている専門分野や関心領域につながる発表を聞き、他の参加者やアドヴァイザーの教授から鋭く、かつユーモアに溢れるコメントを得ることができた貴重な機会でした。国によって異なる法制度や規範意識が存在する中で、共通のスタンダードとしての人権保障を履行するための努力がいかにして行われるか、また、多様な意見を吸収して共通理解を求めるために何が必要であるか、自分が専攻の中で持ってきたこうした問いを、背景や体験の異なる多くの学生と交わせたことは、大きな経験となりました。


学部生や院生だけでなく、実際に教鞭をとっている若手研究者と、2日間にわたる会議で長時間行動をともにし、時間の制約上テーマについて全体で議論こそできなかったものの、お互いに対する関心から政治制度や法制度の相違を知り合い、相互に新たな関心を深める契機が多くありました。広大な領土や多様性をもつ文化、背景の中から集まった参加者の多岐にわたる考え方に触れ、また、自らだけでなく相手に対しても積極的に意見や立場を問う態度は、自分たちが将来の制度構築や政治体制に積極的に関わっていきたいという希望と自信を反映させるものであったと感じています。


学問上の議論は会議の外でも続き、新しい友人として互いを知りながら多くの話ができたことは想像していた以上に嬉しいことでした。日本では学科の下にゼミナールが置かれているのに対し、当地では分野ごとにdepartment制度があり、各人の関心に応じた専門性を深める教育が行われていながら、さらに専門外の事象に対しても、陸続きの隣接国や地域の情勢について日頃から高く関心を抱いている姿勢に刺激を多く受けました。


本プログラムに関係した方々の支援と協力のもと、研究上の交流のみならず、組織委員会や現地学生の配慮により、当地の風物や文化に直接触れる機会を通してロシア語圏での滞在が実り多いものとなりました。距離を越えて新たな友人と今後も交流を深めていくことを強く願っています。



 
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