若手研究者等フェローシップ(2004)

金沢滞在記

2004年12月
ANSHIN ANATOLIY

自分の研究は、山岡鉄舟に関するものであり、これまでに鉄舟を扱う学術的な研究が皆無ですので鉄舟についてありとあらゆる史資料を網羅するのが第一の課題でした。石川県金沢市にある玉川図書館近世資料館には、鉄舟が開いた剣術の流派、無刀流の第6代目村上康正氏が集め、近年同図書館に寄贈した鉄舟関係史資料、いわゆる「春風館文庫」が保存され、この春風館文庫には、自分の研究にきわめて重要な史資料がありました。春風館文庫の史資料はマイクロフィルムになっておらず、図書館側が史資料の複写・郵送の依頼に応じていませんので自分で行って史資料の撮影を行なうという方法しかなく、今回金沢に調査旅行に行くことになりました。

私は日本国内で何回か旅行に行ったことがあり、沖縄の沖永良部島、北海道の函館、伊豆の下田、広島と宮島、京都、奈良、大阪、鎌倉などをずいぶん歩き回りました。しかし、今回の金沢旅行は前の旅行と違って研究調査を行なうためのものという特徴があり、初めて行くところであるものの、金沢市内の見学はあまり考えませんでした。

東京から金沢に行く時に、先ず東京駅から越後湯沢まで新幹線で約1時間行って、そこで北陸線に乗り換えて、普通の電車で2,5‐3時間で金沢に着きます。今年の日本の冬は観測史上最も暖かく、東京には雪が全然ありませんでしたが、新幹線は暫らく走ってトンネルに入って越後湯沢直前のところでトンネルを出たら窓の外が真っ白で、山脈の峰が見えないほど大雪が降り、本当に雪国に入った気がしました。ところが、越後湯沢から北陸線でまた1時間ぐらい走ると雪が消え、日本海の浪が路線まで届かんばかりでした。やはり、日本の風土は、自分の目を疑うほど変化が激しいのだなと思いました。

 

金沢にちょうどお昼頃に着いて、早速春風館文庫の調査に取り掛かりました。毎日夕方、文庫の調査が終わってから僅かな暇を利用して、金沢市内を少し見学出来ました。

金沢の街は西に日本海、東には白山連峰に挟まれた海にも山にも近いところです。それだけに気候は盆地のそれに似たものがあり、夏は蒸し暑く、冬は雪の日やどんよりと曇った日が多いと言われています。また、雨が多いのも特徴で、「弁当忘れても傘忘れるな」の言い伝えがあるほどです。木々も多く、桜・新緑・紅葉・雪景色など四季折々の美しさは日本全国屈指。12月の天気は、東京より寒く、夜になると寒さが骨まで染み込みますが、山の澄み切った空気がなかなか気持いい。滞在の最後の日に雷をともなう雹と雪が降り、山の嵐も目にしましたが、とにかく年末を雪と共に迎えることが出来、自分の国ロシアを懐かしく思いました。

金沢の雰囲気は和やかで、せかせかした東京のそれとはかなり違います。時間の経過もより遅く、日本の歴史が市内の隅々で漂っている感じがしました。

 

金沢には有名なところが多いですが、その中に日本三名園の一つとして全国的に知られている兼六園があります。金沢観光の中心で、約11万平方メートルの園内は、池、名木、築山、曲水などに満ちています。特に、美しい小滝が印象に残っています。西南戦争(1877年)に出兵した石川県出身者400人をまつっている明治記念之標・日本武尊の銅像があり、文久年間(1861-64)に作られた日本最古の噴水もあります。
 

金沢には有名な寺町寺院群があります。寺町寺院群は、1616年に加賀藩3代藩主前田利常が、城下の守護のため、寺を集めたところで、現在もそこには、約50の寺が密集しています。寺町寺院群には妙立寺という変わったお寺があり、このお寺は1643年に建立され、加賀藩主の祈願所だった日蓮宗のものです。加賀藩主がお参り中万が一敵に襲われた場合に備えてその4階7層の庫裏に、迷路のような廊下、隠し階段、覗き部屋、ドンテン返しなど、忍者屋敷のようなカラクリがいっぱいありますので俗に「忍者寺」と呼ばれていますが、実際には忍者と関係一切ありません。庫裏の中を解説を聞きながら見学しましたが、ガイドの説明にピンと来ないところが多少あって、おそらく妙立寺にあるカラクリの本当の意味が現代の人々にだいぶ分からなくなったのではないかという思いもしました。

 

金沢市内には武家屋敷の跡が多く、たとえば私が見た長町武家屋敷跡は、加賀藩政時代に馬廻役や小将組など中級武士の住居があったと言われています。今も用水や小路沿いに土塀が続き、長屋門も残り、当時の面影を偲ばせています。

 

金沢城公園にある金沢城は、1580年に織田信長の命を受けた佐久間盛政が築城し、1583年に前田利家が入場してからは加賀藩主の居城となりました。明治以降は陸軍の拠点、終戦後から1995年までは金沢大学のキャンパスとして利用されていたそうです。兼六園は城の南東側、北東側にはひがし茶屋街、西側は武家屋敷跡、その南側が香林坊や片町の繁華街、さらに南には、にし茶屋街に寺町寺院群と、すべて城を囲むように点在しています。金沢城内には、刀を自由に振り回せるように天井の梁がより高く作られ、階段の隙間から敵が見えるように階段の裏板が外されるなど、城内も戦場になることを想定した様々な工夫があり、ここで討ち死にする他ないという先人の覚悟が戦国時代の緊張の毎日を思わせます。城内は、当時のまま再現され、完全に木造になっていますが、柱と梁など木の部分を繋ぎ合わせるために釘一本も使われていないことに驚きました。現在全くみられませんが、妙立寺のようなカラクリもあったのではないかということも推定できます。


今回の金沢旅行は、春風館文庫を調査し、自分の研究のために良い材料を集め、また金沢市が溢れる日本の歴史に触れる良い機会にもなり、充実した調査旅行になりました。